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2021年 9月 9日

江戸東京散歩VOL.5

東京都中央区にあります

“佃島(つくだじま)”

ご存じの方も多いかとは思いますが、

“佃煮”

で有名な江戸の名残を残す下町です。

最近ではリバーシティ21などと言われ、

高層マンションなど立ち並ぶ近代的な町と

下町エリアの混在する不思議な町です。

もともとは石川島という島が隅田川河口にありました。

そのすぐそばに埋め立てて造られたのが佃島です。

佃の由来は・・・

実は大阪から来てます。

摂津国(現在の大阪府)西成郡佃村・大和田村の漁民と

徳川家康との縁は、天正年間(1573〜1592)に遡ります。

徳川家康が京へ上がる際に舟を出したことがきっかけで、

御菜魚の納入などの使いを務めるようになったそうです。

慶長年間には佃村の名主だった森孫右衛門が

安藤対馬守により江戸における将軍の御菜御用の命を受けて、

一族7人と佃村・大和田村の漁民33名とともに江戸へ移り住んだそうです。

※一説には本能寺の際に窮地に陥った徳川家康に

脱出の手を差し伸べて手伝ったそうです。

その後、家康は秀吉によりそれまでの所領を没収され、

関東への移転を命じられます。
家康は未開だった江戸の街づくりに励みますが、

大きな課題となったのが急激に増えた人口に対する食料の確保でした。
当時の江戸湾には漁村は8箇所ほどしかなく、

漁猟技術も乏しかったため、家康は家臣に命じ、

摂津国佃村より漁師33名を江戸に移住させることで

漁猟強化策を実施したということも言われています。

漁民たちは武家地に仮住まいをしながら漁をしていましたが、

寛永年間(1624〜1644)に武家地内へ町人の居住が禁止されると、

石川氏の拝領した隅田川河口の島(石川島)の

南続きの干潟およそ8550坪を拝領して埋め立てました。

正保元年(1644)2月に完成したこの島を、

本国佃村の名にちなんで「佃島」と命名して移り住んだそうです。

その石川島は漁民が当初住んでいた屋敷の領主

石川氏の作った島だそうです。

堅牢な地盤の石川島には江戸時代に水戸藩が日本初の洋式造船所をつくり、

明治9年(1876年)に石川島平野造船所(後の石川島播磨重工業)が建設されました。

佃島には家康が大阪から連れてきた漁民が住み着き、漁村となりました。

その後、石川島と佃島の二つの島は関東大震災の瓦礫埋め立てて繋がり佃町となり、

佃町の南側には明治25年(1892年)に浚渫土砂で埋立てた1号地が完成し、

やがて現在の広い月島町になりました。ここは東京湾埋立地の先駆けなのです。

 

昭和39年に佃大橋がかかるまで

渡し船で行き来していました。

 

住吉神社

正保3年(1646)摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区)にあった

住吉神社から分社して現在地に遷座しました。

境内にある水盤舎・陶製篇額は区民有形文化財です。

本殿は江戸城、そして摂津国の方向を向いて建てられています。

本祭りは3年に一度、住吉神社が遷座されたという旧暦の6月29日前後(現在の8月6日前後)に開催されています。

獅子頭や神輿の宮出し、船渡御などが行われ、江戸風情を伝える祭りとして広く知られます。

正面鳥居の扁額珍しい陶製になっていて、

額字の筆者は“有栖川宮幟仁親王”です。

 

 

また佃島で全国的に知られるのが・・・

佃煮ですね。

184年余りの歴史があり、

今でもその伝統の味を受け継いで親しまれています。

こちらは私のなじみのお店です。

1837年創業の老舗『天安』さんです。

色々な素材を煮て、

その際に出た煮汁をたれにして造られていて、

184年分の伝統と様々な素材の味がしみ込んだ

佃煮をご賞味してみてください!

 

 

最後に隣町月島で驚きの発見!!

もんじゃストリートとして知られる西仲商店街で通りすがりに見つけました。

“もんじゃ焼き”の自販機

ついつい二度見してしまいました・・・

生活様式の変化によって

こういうスタイルも楽しみの一つになってきたようですね。

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2021年9月9日(木)12:22 | 未分類

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